この時代を「新しい戦前」とはうまく言ったものだ。
しかしこの言葉に影響されない方が良い、とも思う。
今、ロシアとウクライナが戦争をしている。
そしてあまり明言されないけれど日本は事実上ウクライナ側に付いていて、その是非が問われることはあまりない。
つまり事実上戦争に加担していることは否定できない。
いつロシアから攻撃されてもおかしくないけれど、そんなことはテレビでは誰も言わない。
今後永遠にこの国で戦争が起こらないとは誰も断言はできない。
だから「今はもう戦前なんだ」というシニカルな姿勢を全否定もできない。
だけどそれを言って、一体どうしたいのか。
みんなが「今は戦前」と思っていたら、戦争なんて簡単に始まってしまいますよ。
それよりもこの時代を「新しい戦前」にしないためにどうするか。何ができるのか。
その方が大事ではないか。
「戦争は老人が始めて、死ぬのは若者だ。」
「歴史は勝者が作るものだ。」
「情報には意図がある。」
これらは全て事実だ。
その中で政治的に無力な市民のぼくたちにできることは一体何だろうか。
ひとつだけ確かなことがある。
世界や人生をより良い方に導くのはいつも、恐怖に基づいた判断ではなく愛に基づいた判断である、ということ。
これなら日々の生活の中で誰でもできるのではないだろうか。
その選択は恐怖心によるものか、愛によるものか。
もし恐怖心によるものだとしたら、ちょっと考えた方が良い。
みんなが恐怖ではなく愛に基づいた選択をし続けたら少しずつ世界は良くなるはずだ。
そんな事を思いながら、太る恐怖よりも愛を大切にして今日もポテチを食べる判断をした新春の深夜2時。
本年もどうぞよろしくお願いします。
皆様にとってより良い一年になりますように。
飯田雅春 拝