「音と文明 ~音の環境学ことはじめ / 大橋 力 著」を読んでうれしい衝撃を受けた。
映画「AKIRA」で音楽を担当した「芸能山城組」の主宰者・山城祥二氏とこの著者が同一人物であることにも、不思議な納得を覚える。
「遺伝子に約束された音」「言語・音楽と脳」といった興味深いキーワードを切り口に、尺八と西洋楽器、ガムランと西洋のオーケストラ、森と里と街、などの周波数分布比較を例にあげながら、音と生命の関わりを浮き彫りにする。
~きこえない音~
人間が聴き取ることのできる周波数の上限は20kHz程度という「常識」が現在のCD、mp3などの音に関わる商品フォーマットの前提になっている。
しかし、尺八・ガムラン・森の音環境の周波数分布はそれをはるかに超える100khzまでの帯域を豊かに、ゆらぎをともなって含んでいるという。
しかもその違いが私たちに影響を与えているらしい。
同じ音楽素材をつかって「CDクオリティーの音源」と「100kHzまでの倍音を含んだ音源」を比較すると、その違いを聴き取ることはできない場合も多い。
しかしその場合でも、脳波に生じる変化(!)を実験でとらえることに成功している。
きこえてなくても、きこえている。
音は食べ物や飲み物と同じように「いのち」に関わる事だ。
そんなことを科学的にも証明してくれたような感じでうれしくなった。
~音楽とメッセージ~
本著にこんな記述がある。
「環境から私たちに到来するメッセージの中には、ある種の栄養素や毒物がそうであるように、感覚ではとらえきれないのに生命に決定的な作用を及ぼすものがある」
メッセージというとつい言語化されたものを連想しがちだが、「気配」や「雰囲気」もメッセージだと考えることができるし、人間はそういうメッセージを「察知」する能力を持っているわけだ。
(本著ではさらに「文明がこれまで無視し、あるいは忘却してきた知覚圏外のメッセージの存在と効果」を明白にしながら、「遺伝子に約束された環境のデザイン」にまで論が及ぶ。)
音楽の場合のメッセージでも同様に、まずは「うた」が連想される。
それは力強く、認知という意味で伝わりやすい。
リズム、メロディー(フレーズ)、グルーヴ、ハーモニー、ストラクチュア、テンポ、ダイナミクスなども(聴き取ることができる)メッセージといえるだろう。
さらに、「音色=メッセージ」ととらえることもできる。
音色に含まれる倍音。
通常音色として認知される倍音は、聴き取ることができる範囲(20kHz)内であろうが、認知されなくても生命に直接影響を与える高周波倍音の存在を考えると、「音色はより根源的で強力なメッセージ」といえないだろうか?
音色というのは楽器本体からでる倍音だけではない。
奏者の身体の共鳴、呼吸、演奏会場の響きなどが絡み合って生み出されるものだ。
その意味でも「うた」はやはり強力にメッセージを伝える。
優れた歌手の声が豊かな倍音構造をともなっていることが多いのは有名な話だが、声という音色の持つメッセージとうたわれる「ことば」のメッセージにより、深さと伝わりやすさ両方を兼ね備え、メッセージは増幅される。
ことばをともなわない器楽の場合、そのメッセージの伝わりやすさ・わかりやすさは、前述の聴き取れる範囲の要素(リズム、メロディーなど)に影響を受ける。
しかしメッセージ(=音色)の深さ・重要性においては、オーケストラであろうと、ベースソロであろうと、口琴ソロであろうと変わりはない。
「ベースソロだから…」という言い訳はできないな。と思う。
(旧ブログより転載)