ドラマー アントニオ・サンチェス氏によるドラムスコアがサウンドトラックのほぼ全編を占める映画「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観た。
(あわせて話題になってる「セッション」も観ようかどうしようかと迷ったがあっちは疲れそうなのでやめた)
サウンドトラックの役割という面で、(単にドラムソロで映画音楽を、と言うだけでない)非常にチャレンジングな映画だと感じたのでその内容を書いておく。
「バードマン」
ほぼ全編ドラムでのサウンドトラックという面が注目されやすいが、「音楽が映画の物語に直接影響する」という点も刺激的だった。
1回しか見ていないし、僕の勝手な解釈かもしれないが。
アントニオ・サンチェスさんのドラムサウンド(一部はブライアン・ブレイドさん)が寄り添うのは、映画の中では「現実」。
一方でいかにも映画的なオーケストラ音楽が流れるのは主人公が演じる演劇の場面や空想の「非現実」シーンのみ。
観客に「ドラム=現実」「オーケストラ=非現実」という感覚的なスイッチを丁寧に埋め込む。
その切り替わりは常に明瞭。ただし最後を除いては。
ラストシーンはオーケストラがやや緩やかにフェイドアウトし、ドラムサウンドに切り替わり、映画の中の現実と非現実が溶け合う。
それを利用して観客に物語の解釈を委ねる。
サウンドトラックが物語の解釈に直接干渉している。
解釈は無意識におこなわれる部分もあるので、それは「サウンドトラックが物語に直接影響を与える」ことと同義であろう。
そんな映画はこれまでにあっただろうか。
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「インセプション」のサウンドトラックもそういう側面があったけど、あちらはあくまで演出的な立ち位置だったような。
皆さん、どう感じましたか〜?