先日、ライブでとあるぼくのオリジナル曲を演奏した。
その時、それを聴いたリスナーの方からの感想がとても嬉しくて、ちょっと考えたこともあったので書いておく。
昨年8月6日に開催されるライブがあり、その日のために、自分なりの祈りの曲を作った。
もちろん広島原爆忌を意識したものだ。
歌詞はなく、ゆったりとしたいくつかのモチーフと、抽象的な即興演奏からなる楽曲。
コントラバスの指板と弦の間に木片をはさんでプリペアドにしてスティックで音を出したりもするし、トーナルセンターはEで一定だけれど、長調と短調が混在していて、一般的な感覚では「なんだか不思議な曲」という感じだろうか。
先日のライブでは、MCで曲の説明をすることもなくおもむろに演奏した。
その感想とはこういうものだ。
「祈りの曲だとは聞いたけれど、自分にはカトマンズの風景が浮かんだ。かつて、小さなセスナに乗って上空から見下ろしたその壮大な風景を」
演奏や楽曲をそのように聴いてもらえるのはとても嬉しい。
そのリスナーの方はその曲を通じて、ご自身の内面にある何か鉱脈のようなところにふれたのかもしれない。普段は外面化されない記憶や感情が大切にしまわれている、そんな場所だ。
音楽は時に人をそういったところに連れて行ってくれる。
そしてそこから戻ってきた時には、その前よりはほんの少しだけれど世界がよりよいものになっている。
祈りは通じているのだ。